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福岡高等裁判所 昭和52年(ネ)80号 判決 1978年8月09日

控訴人

昭和自動車株式会社

右代表者

金子宜嗣

右訴訟代理人

村田利雄

堤敏介

被控訴人

諌山嘉刀

右訴訟代理人

小島肇

外一〇名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人が肩書地に本社を置く旅客運送会社であること、被控訴人は、昭和四五年一一月一七日控訴人会社にバス運転手として入社し、以来福岡営業所勤務となつたこと、被控訴人は、昭和五〇年四月九日、控訴人福岡営業所々長狩峰国晴に対し、被控訴人署名・捺印の退職願書を提出して本件退職願をしたこと、しかし、被控訴人は、同月一一月同所長に対し、口頭で本件退職願を撤回する旨の意思表示をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、先ず本件退職願の撤回の効力について以下判断する。

1  <証拠>を総合すると、次の(一)ないし(六)の事実が認められ、<る>。<証拠判断略>

(一)  控訴人の福岡営業所ではバス運転手約一〇〇名が勤務し、バス運行路線の違いによつて、幹線班、支線班、貸切班に分れており、各班には運転手らの世話役である班長が自主的に選出されることとなつていた。昭和四九年一月、支線班では被控訴人が班長に、深川某が副班長にそれぞれ選ばれ、当初両名とも職場の同じ釣クラブに属し仲がよかつたが、同年七月ごろ些細なことから不仲となり、そのため釣クラブも解散することとなり、釣クラブの会員が、被控訴人、吉田州宏、秋田實武らのグループと、増本某、小林輝敏、深川らのグループに分かれて互に反目し合うようになつた。このようなことから被控訴人、吉田、秋田らは、反対グループの深川らと親しかつた同営業所の井下信にも反感を持つていた。右井下は、運行管理者である同営業所々長および同次長を補佐して同営業所における運行管理業務を行なつていた点呼者の一人であつたが、被控訴人が支線班の班長となつた後、井下の運転管理業務について、それが不公平であるとして一部の運転手の中から不平不満が起こり、やがて被控訴人もこれを耳にするようになつた。そこで、昭和五〇年三月下旬ごろ、被控訴人、吉田、秋田らは、嘆願書の形式で、控訴人の本社宛に直接郵送して、右井下に対する不平不満を訴えようということを考え、被控訴人、吉田、秋田らを中心に、運転手一〇名余りが待機時間を利用して、当時運転手の溜り場となつていた同営業所二階にある独身寮の一室に、控訴人に無断で集まり、井下に対する不平不満を便箋一枚に書上げ、その後天野守哉においてこれを一部附加訂正し、次いで更に、被控訴人らにおいて書き加えたものを、山口長秀が清書して本件嘆願書(但し、当時宛先は空欄であつた。)を作成し、運転手仲間の署名捺印を求め、結局、被控訴人、吉田、秋田らは、自分らの分を含めて二六名の署名・捺印をえたが、同月三〇日、宛先を控訴人本社ではなく、控訴人の金子社長宛に郵送することを決め、翌三一日にその宛先を金子社長として本件嘆願書を、本社で速達で郵送した。

(二)  昭和五〇年四月一日、本件嘆願書は控訴人本社に配達され、これを開封した中島人事課長は、即日、山田労務係長に事実調査を命じ、次いで同課長は、翌二日、福岡営業所狩峰所長に事実調査を指示した。

狩峰所長は、同月六日までに批判の対象者とされた井下信、嘆願書の署名者ら関係者について個別調査をし、翌七日、中島人事課長に会い、本件嘆願書は、被控訴人、吉田、秋田の三名が中心となつて同人らと個人的に反目しているグループと親しい井下信を排斥する目的で、無根の事実等を取上げた上、余り事情を知らない他の運転手を、勤務時間中に、独身寮の一室に集める等して署名・捺印させて作成し、社長宛に郵送したものである旨の調査結果を報告し、併せて、被控訴人ら三名の嘆願書の件に関する行為は、就業時間中、会社内で無断で業務以外の集会を開いた点で控訴人の就業規則七五条(同条は懲戒解雇処分事由を定めたものであり、但し、右事由に該当しても情状により出勤停止または減給処分に止めるとする。)(17)号に、また、苦情があれば労使の苦情処理機関があり、それにはかつて処理すべきであるのに、この方法をとらず、また直接の責任者である職場の上司をも通さずに社長に直訴し、会社の秩序を乱した点で、同条(18)号に該当するので、相当の処分をする必要がある旨の意見を述べ、同人事課長も、右意見に賛同した。次いで同所長は、同人事課長に対し、被控訴人らが責任を感じているので、円満退職の方向で解決しそうであるからそれにそつた処理をしたい旨を述べ、同課長は、これを了承すると共に上司である栗山虎之助総務部長に伝えてその了承をえた。

(三)  同月九日午前一〇時頃、狩峰所長は、被控訴人、吉田、秋田を一人ずつ所長室に呼び、控訴人において、右三名に対し、何ら具体的な懲戒処分決定の手続をなしていなかつたのに、右三名を円満退職させるため、右三名に対し、「あなたは、就業規則七五条(17)号、(18)号に該当するので懲戒免職になる。しかし、懲戒免職になれば退職金も出ないし、再就職にも差し支えるだろうから、退職願を書いた方がよい。」旨を述べて、控訴人らに対し控訴人備付けの退職願用紙を渡した。

右三名は、それぞれ狩峰所長の手渡した退職願用紙を受取り、一旦所長室を辞去したが、その後、所長に面会を求めて、この真相を確認に行つた秋月恵二組合支部長らから、どうしようもない旨を聞かされ、もし狩峰所長のいうとおり懲戒解雇になるのならば、それよりは円満退職した方が得であると考え、止むなく右退職願用紙の理由欄に「一身上の都合により」と記載した外所要事項を記載し、署名捺印の上、同日昼すぎ頃同所長にそれぞれこれを提出した。

狩峰所長は、同日午後二時ごろ、中島人事課長に対し、被控訴人ら三名から退職願書が提出されたのでこれを受理、これをバス便で本社人事課宛に送つた旨を連絡した。右三名の退職願書は同日午後四時頃本社まで届けられたので、同課長は、同日から翌一一日にかけて右退職願書を重役に回閲し、それを承認することにつき持廻り決裁がなされた。

(四)  一方、被控訴人および吉田は、一応退職願を出したものの、本件嘆願書を出しただけで会社を辞めなければならないことにどうしても納得できず、両名とも翌一〇日には裁判に訴える決意をし、その翌一一日、福岡第一法律事務所に相談に赴き、弁護士井手豊継と相談の結果、その意見に従い、同日午後六時頃、控訴人福岡営業所において狩峰所長に対し、口頭を以て当事者間に争いのないとおり本件退職願を撤回する旨の意思表示をした。同所長は、被控訴人および吉田に対し、本件退職願を撤回する旨の趣旨は了解したので、これを本社に連絡する旨約束した。

(五)  狩峰所長は、同月一二日、被控訴人および吉田の右撤回の意思表示を本社に電話で取次いだが、本件退職願は既に重役会で了承ずみであるから、今更撤回は認められないという回答であつた。

(六)  控訴人の就業規則二四条(1)号は、従業員が「退職を願い出て会社が承認したとき、または退職願提出後一四日を経過したとき。」に退職する旨規定しているところ、控訴人は、被控訴人の場合、被控訴人提出の退職願書を前記のとおり重役の持廻り決裁した時点で右二四条(1)号前段により本件退職願の効力が発生したとして処理し、被控訴人のなした本件退職願撤回の意思表示前には、被控訴人に対して、本件退職願を承認する旨の通知は何らしなかつた。

(七)  なお、退職願書を提出した秋田は、昭和五〇年四月一一日頃、狩峰所長の紹介により控訴人の系列会社である佐賀の昭和タクシーに就職した後、昭和五一年四月控訴人会社に再就職し、また、当初被控訴人と行動を共にしていた吉田も昭和五〇年七月一一日控訴人会社に再就職した。

2  ところで、控訴人の就業規則二四条は、「従業員が次の各号のいずれかに該当するときは退職とする。」旨規定し、その一号として「退職を願い出て会社が承認したとき、または退職願提出後一四日を経過したとき」として従業員による退職願による退職を定めている。そして一般に被用者のなす退職願は、使用者との間の雇傭契約を合意解約したい旨の使用者に対する申込みの意思表示と解することができ、それに基く合意解約の効力は、右申込みに対する使用者の承認がなされ、かつ、それが被用者に到達したときに発生するものと解される。したがつて、右申込みはそれ自体で独立に法的意義を有する行為ではないから相手方たる使用者において申込者たる被用者に対し承認の意思表示をなすことによつて右合意解約の効果が発生するまでは、それが信義に反すると認められるような特段の事情がない限り自由にこれを撤回することができると解するのが相当である。

前記認定事実によれば、被控訴人は、狩峰所長の言動から退職願書を提出しなければ、当然懲戒解雇処分に付されるものと思い違いをして、昭和五〇年四月九日本件退職願をしたが、その翌々日の一一日には弁護士と相談の上、本件退職願を撤回する旨の意思表示を、控訴人に対してしているものであり、他方、控訴人においては、被控訴人が退職願を提出した同月九日から翌々日の一一日にかけて持廻りで重役会にはかり、本件退職願を承認する旨の決裁をしたものの、右決裁に基く、本件退職願承認の控訴人の意思表示は、被控訴人が前記のように、本件退職願の撤回を控訴人に申出るまでに、被控訴人に対し何ら表示されていなかつたことが明らかである。

もつとも、控訴人は、前記就業規則二四条(1)号前段により、本件退職願を内部的に承認した時点でその効力が発生した旨主張するが、右内部的承認は、それが従業員に対して表示(到達)されない限り、あくまで内部的意思決定に止まり、退職願による退職(雇傭契約の合意解約)の効果を発生させるものではないから、それが被控訴人を拘束するいわれはないというべきであり、右就業規則二四条(1)号前段にいう「承認したとき」とあるのは、同承認が退職願をなした者に表示(到達)されたときをいうと解すべきであるから、控訴人の右主張は採用しない。

3  以上検討したところからすると、被控訴人が昭和五〇年四月九日になした本件退職願は、控訴人の承認の表示が被控訴人に到達する以前の同月一一日被控訴人によつて撤回されたものであること明らかであるところ、被控訴人の右撤回が信義に反すると認められる特段の事情があつたとの点について主張および立証のない本件においては、本件退職願は有効に撤回されたというべきである。そうすると、本件退職願による雇傭契約の合意解約の成立は、その余地のないものといわなければならない。

三従つて、本件退職願の承認により被控訴人が控訴人の従業員なる地位を喪失した旨の控訴人の抗弁は、被控訴人主張その余の再抗弁について判断するまでもなく理由がないから、被控訴人は現在もなお控訴人の従業員たる地位を有するというべきである。なお、控訴人が被控訴人従業員たる地位を争つていることは弁論の全趣旨より明らかである。

四そして、被控訴人が昭和五〇年一月ないし三月に受取つた給料額が被控訴人の主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いがなく、且つ、同年四月分の給料について同人が二〇日分を受領ずみであることは被控訴人において自認するところであるから、結局、控訴人は、被控訴人に対し、同年五月分以降は支払日である毎月二七日限り(被控訴人主張の賃金支払方法、支払期は控訴人において明らかに争わないところである。)右三ケ月の平均給料額一〇万五一八四円中、被控訴人主張の一〇万五一五〇円を、同年四月分についてはその未払分一〇日分にあたる三万五〇五〇円を、それぞれ支払うべき義務があるものというべきである。<以下、省略>

(原政俊 大城光代 寒竹剛)

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